心理学と善悪
心理学の世界で、「善悪の錯覚」なり、「善悪中毒」という言葉は、まだ必ずしも一般的とはいえません。
善悪という言葉自体が、倫理学なり宗教の範疇であって、心理学という学問には馴染まないという印象もあるかも知れません。
しかしながら、倫理上の価値基準(=何が善で何が悪か)といった土俵を離れ、善悪という言葉・観念だけを純粋に取り上げてみると、
その言葉・観念がいかに容易に錯覚、そして葛藤の原因になっているのか、という人間心理を観察することができます。
―そして更に深く人の心を覗き込めば、その錯覚がどれほど危険なものかも観察することが出来るでしょう。
善悪の錯覚は、個人の心の葛藤を生むだけではなく、何千年にもわたって人類という巨大な集合体の様々な葛藤/悲劇
―戦争、テロ、抑圧、殺人、犯罪、拷問、いじめ―などの、根本的な原因となってきたと考えることが出来るのです。
人々が善悪が生む錯覚に気づき「善悪中毒」という心の病を克服しない限り、人類は永遠に争い(葛藤)を繰返すことでしょう。
さらにいえば、「善悪」の強迫観念・錯覚を抜きにしては、犯罪心理学、犯罪予防心理学、葛藤や戦争の心理、
さらには二重人格・多重人格といった異常心理についても、理解を深めることは大変に難しいのではないでしょうか。
現状、残念ながら、善悪の錯覚に気づいている人は多くなく、人々は、いわばその手付かずの危険に晒されています。―これでは、心の葛藤も自殺もイジメも虐待も犯罪もテロも戦争も、予防できる筈が有りません。
それでは、善悪が生む錯覚とは具体的に何なのでしょう?
―実は、これを正確に理解するのは、容易ではありません。
錯覚とは、いうまでもなく間違えて認識することです。間違えてしまうのは、間違いやすいからであり、そこには間違ってしまう理由も存在しています。
そもそも、
- ●間違いやすいものを、間違わない。
- ●間違う理由があるものを、間違わない。
具体例でご説明しましょう。
ここに、「白い錠剤」と「やや白い錠剤」と、水が入ったコップが机の上にあると想像してみてください。
白い錠剤は、ビタミン剤。やや白い錠剤は、毒薬としましょう。
ご想像いただけましたか?
―さて、白い錠剤とコップ。
これは誰が見ても違うものです。大きさも形状も違います。つまり、間違って認識しやすいものではありません。
だから、錯覚が生まれることは有りません。
「机の上の白い錠剤はビタミン剤だから、飲みなさい」と言われた人が、間違ってコップを飲み込んでしまうことは有りません。
しかしながら、白い錠剤とやや白い錠剤は、似ています。つまり、間違いやすいのです。
もし、錠剤がある部屋が薄暗くて、錠剤に2種類有る事を知らなければ、そこには間違いやすい理由も存在することになるでしょう。
そして、白い錠剤とやや白い錠剤の区別を説明することは、生死に関わり大変に重要ですが、その違いを説明することも認識することも大変に難しいのです。

つまり、錯覚を正確に説明する/認識するというのは、どれほど重要なことであっても、難しいものなのです。
たとえそれが人類が世界平和を達成するか・永遠に戦争を繰返すかというほど重要なことであっても、です。
さらに言えば、善悪という言葉、物の考え方は、人の心の有り方を潜在意識レベルから、深く規定しています。
それは、いわば心の中に巨大なコンプレックス(複合体)を形作っています。
これについてもご説明しましょう。
人が空気を認識するのは、あたかも魚が水を認識するかのごとく、難しいとお聞きになったことは有るでしょうか?
実際、風が無ければ人が空気を意識することは稀にしかありません。木を見て森を見ずの喩えも有ります。理科の教科書に出てくるニュートンは、世界中あらゆるところに存在している引力を「発見」し、有名になりました。
つまり、何かの中に入ってしまうと(飲み込まれてしまうと)、その何かを意識して、客観視することは容易ではありません。
同様に、善悪の世界の中に生きている人間にとって、善悪を客観視することは大変に難しいのです。
―ここで簡単な実験をしてみましょう。
あなたは次の会話をどのようにお感じになりますか?
- 「善悪って大変に危険なんだよ」
- 「え? じゃ、善悪って、使わない方がイイの?」
いかがでしょうか? …特に違和感をお持ちにはなりませんでしたか? それでは、次の会話はいかがでしょうか?
- 「善悪って大変に危険なんだよ」
- 「え? じゃ、善悪って、使ったら悪いの?」
…今度はいかがでしょうか? 心の中で常に働いている「善悪の存在」を意識していただくことは出来ましたでしょうか? (「○○が悪い」という言葉は、善悪の存在を前提としていますね)
この働き者の「善悪」を客観視するためには、より深く、広く、心の深層心理を探検していく必要が有るのです。
「平和の絵本」の運動と善悪中毒
前述の通り、善悪の錯覚は大変に危険なものです(具体例としては、私どもの絵本集をご参照下さい)。
繰り返しになりますが、現代世界のテロや戦争などを含めて、ほとんどの争いの根本原因/温床として、善悪の錯覚が働いています。 これを先ほどの比喩で言えば、白い錠剤(ビタミン剤)だと錯覚して、やや白い錠剤(毒薬)を飲み込み、多くの人々が現実に苦しみ、命を落としていることとなります。
したがって、善悪の錯覚の危険について人々へ広く知らしめることは、そのまま平和の促進にも直結します。つまり、善悪の錯覚を原因として発生したテロや戦争は、善悪の錯覚への危険を人々に知らしめ、人々が持つ錯覚を取り除く事で、減らし予防する事が出来るのです。
さて、私どもでは、こうしたことから、世界中の人々へ善悪の錯覚の危険を知らしめるべく、「平和の絵本」の運動を行っています。(なぜ絵本なのかについても、はっきりとした理由が有ります。こちらの「なぜ絵本で世界平和なのか」、をご参照ください。)
むろん、これらの絵本を見ただけで錯覚を正確に認識することも、善悪を客観視することも出来ません。 しかしながら、これらの絵本を見れば、そこに何かとんでもない危険が潜んでいるという問題意識を持つ切っ掛けにはなる筈です。
―そしてそれが、人類が永遠に続けている争いの渦(=善悪の葛藤)を止める第一歩となると、私どもでは考えています。
さて、弊著「善悪中毒」は、「平和の絵本」の運動の理論書として執筆したものです。今後、本運動を発展させていくためには、どうしても揺ぎ無い軸となる理論書が必要だと考えたものです。
一方で絵本集は、運動の実践という位置付けだと考えています。
本;善悪中毒―戦争、テロ、いじめ、葛藤を生む錯覚の心理学―
本書は、上記の比喩で言えば、暗い部屋の中でも、白い錠剤と、やや白い錠剤を正確に見極めることが出来るように執筆したものです。
絵本という表現媒体では書くことが出来ない錯覚のメカニズムに関して、詳細を解説しています。
図や絵を多用して、言葉と視覚の双方からご理解いただけるように、と工夫を凝らしたつもりです。
筆者としては出来る限り平易に表現しましたが、本書で扱うのは目に見えない心理学/心の中の世界。しかも扱っているのは、ただでさえ分かりにくい錯覚。
ですから、この場で申し上げておきますが、読者にとって決して簡単な本ではないと思います。少なくとも、娯楽で読む本ではないでしょう。
誤解を避けるために申し上げますが、本書を読む上で、高い知能が必要だというのでは無いのです。精神世界や心理学の専門知識が必要な訳でも有りません。
むしろ必要なものは、心が住む世界―自分の潜在意識―を客観視出来る柔軟な心/開かれた心だと想像しています。
ですから、どれほど知能が高い方/心理学の造詣が深い方でも、心を閉ざし感情を抑圧されている方には、本書を理解することは難しいのではないでしょうか。(そんなことも有って、絵本という表現方法を考えました。)
言葉を代えて言えば、錯覚に頼って生きている人から錯覚を取り上げることは、容易ではないのです。
治にいて乱を忘れず
なぜ、世界の人々の善悪中毒を癒す必要があるのか? つまり、和を地球への運動をするのか?
本の中の一節をご紹介します
善悪中毒の続刊
善悪中毒の第二巻目「原爆への復讐 聖書論(歴史編)」はこちらです。
善悪中毒の出版社のページ
善悪中毒の英語版
読書感想文
「平和の絵本から、ありがとう」では、善悪中毒の読書感想文も発表しています。
![]() 君のウチへ 遊びに行かせて! 君にプレゼントが 有るんだ。 |
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