この絵本は、想像と現実をテーマとした連作絵本「想像という現実」の第一作目となります。殺意(殺人衝動)が生まれる心理を描きます。 無差別殺傷事件にもつながる想像力がテーマです。
この絵本は、想像と現実をテーマとした連作絵本「想像という現実」の第一本目となります。
一本目のテーマは、人間が持つ「偉大なる想像力」です。
人間が持つ想像力はあまりにも偉大であり、つまりは、大きな力を持っており、一歩間違えれば、 殺意を生み/殺人衝動の原因となり、それこそ無差別殺傷事件にもつながってしまうことでしょう。
この絵本「駅のホームにて」は、その一歩を間違えないために、執筆したものです。
さて、この連作絵本「想像という現実」では、想像と現実の混同が織り成す、様々な人間模様を描きます。 想像と錯覚について、思いを馳せていただければ幸いです。
*あまり小さなお子様向きのテーマではなく、振り仮名はふっていません。
誤解を避ける目的で、以下、補足説明を致します。
この絵本の最後では、想像と現実の区別をうたっています。
しかしながら、想像と現実への認識を100%区別する、ということは、人間には不可能なことだと存じます。
大変にややこしい話で恐縮なのですが…
想像と「現実」は異なるものかも知れません。しかしながら、想像と「現実への認識」は、決して対立する概念ではありません。
想像することなしで、人は「現実への認識」ができないのです。
たとえば、他人の気持ちについてお考えいただければ、それは簡単にご納得いただけるかと思います。
他人の気持ちを(特殊な能力の持ち主ではない限り)人は直接には見ることができません。
しかしそれは、他人の気持ちが、現実には存在しない、ということではありません。
他人の気持ちは、現実にきっと存在するでしょう。・・・では、その他人の気持ちという現実を、どうやって認識するのか?
目で見ることができない他人の気持ちは、「想像」することで、はじめて認識することが可能となります。
つまり、想像力の助けを得て、はじめて人は現実らしきものを認識します。
しかしながら一方で、想像は想像に過ぎないことも、また事実です。つまり、人の現実認識は、想像抜きでは成立せず、 そのため人が行なう現実認識は、常に間違うものなのです。人の現実認識は、現実と乖離することを、いわば宿命付けられています。 (なお、このテーマで連作絵本5本目「心という現実」を書いていますので、ご参照ください)
人が行なう現実への認識と、現実自体との乖離をできるだけ小さくする。(争いの種を育てないためにも)間違い/錯覚を減らしていく。 …そこには、不断の努力が必要となります。 ここに人間であることの弱点があり、また挑戦が有るのかも知れません。
この絵本「駅のホームにて」では、想像と現実の区別を主張しています
一方で、「現実への認識」は、想像抜きで成立しません。一見、矛盾するかのように見えるかもしれません。
しかしながら、「駅のホームにて」で主張しているのは、あくまでも想像と「現実」の区別であって、
想像と「現実認識」の区別ではありません。
つまり、この絵本「駅のホームにて」で主張しているのは、上記の
「現実への認識と、現実自体との乖離をできるだけ小さくするための努力」に他なりません。
現実への(想像力の助けを得た)認識と、現実自体との乖離を少しでも減らすために、 (100%実行することは不可能であるにしろ) 想像(に過ぎないと思われる部分)と現実(だと認められる部分)を区別し、 「自身の現実への認識」を「現実」に少しでも近づけていこうとする、心的態度を持ち続けることが重要なのです。
以上、誤解を避けるために、蛇足ながら補足説明とさせていただきます。
| 駅のホームにて |
![]() |
| 東郷 潤 |